学校案内

春木小学校(はるきしょうがっこう)のホームページへおこしくださいまして、ありがとうございます。
本校(ほんこう)は、岸和田市(きしわだし)(なか)でも(うみ)大阪湾(おおさかわん))よりにある学校(がっこう)です。現在(げんざい)(うみ)木材(もくざい)コンビナートとして、()()てられ、世界(せかい)からの木材(もくざい)()()れていますが、かつては砂浜(すなはま)松林(まつばやし)がならび、現在野田(げんざいのだ)プールでおこなわれている水練学校(すいれんがっこう)も、かつてはここ春木(はるき)(はま)でおこなわれていたくらいきれいな(うみ)でした。また隣接(りんせつ)する春木漁港(はるきぎょこう)は、鳥羽一郎(とばいちろう)(うた)う『泉州春木港(せんしゅうはるきこう)』の舞台(ぶたい)としても有名(ゆうめい)で、春木漁港(はるきぎょこう)には、『泉州(せんしゅう)春木港(はるきこう)』の石碑(せきひ)()てられています。
西福寺(さいふくじ) 西性寺(さいしょうじ) 泉州春木漁港(せんしゅうはるきぎょこう)
 春木(はるき)という名前(なまえ)のいわれは、(あたら)しく開墾(かいこん)された土地(とち)であるという意味(いみ)の『(はら)』や『(はる)』からきているという(せつ)や、校区(こうく)にある西福寺(さいふくじ)建立(こんりゅう)した灯誉上人(とうよしょうにん)への感謝(かんしゃ)意味(いみ)をこめて、毎年(まいとし)()めていた(まき)を「はるき」といったので春木(はるき)という名前(なまえ)がついたという(せつ)などがあります。
いずれにしても、
春木地区(はるきちく)大阪湾(おおさかわん)春木川(はるきがわ)(ゆた)かな恩恵(おんけい)()け、(ふる)くから人々(ひとびと)(あつ)まり(さか)えていた土地(とち)だったということがわかります。
このような
歴史(れきし)(なか)で、春木小学校(はるきしょうがっこう)は、1872年(明治(めいじ)5年)9月5日に学制(がくせい)がひかれる以前(いぜん)の、1872年
明治(めいじ)5年)5月5日より、春木村(はるきむら)にある西性寺(さいしょうじ)()り、春木(はるき)(ごう)学校(がっこう)として(はじ)まりました。これは、岸和田(きしわだ)市内(しない)小学校(しょうがっこう)創立(そうりつ)歴史(れきし)をたどるともっとも(ふる)いものです。
1998年に()てかえられた新校舎(しんこうしゃ)
 1998年(平成(へいせい)10年)7月31日には、これまでの(ふる)校舎(こうしゃ)()てかえ、鉄筋(てっきん)階建(かいだ)ての瓦屋根(かわらやね)の24教室(きょうしつ)新校舎(しんこうしゃ)新築(しんちく)されました。
現在(げんざい)春木小学校(はるきしょうがっこう)では、『心豊(こころゆた)かな()どもの育成(いくせい)』、『(たし)かな学力(がくりょく)定着(ていちゃく)』をめざし、()どもたちが(たの)しい学校生活(がっこうせいかつ)(おく)ることができるよう()()んでおります。今後(こんご)ともご理解(りかい)、ご支援(しえん)のほどよろしくお(ねが)いいたします。
*小垣廣次(おがきこうじ) 著(ちょ) 『岸和田(きしわだ)の土(つち)と草(くさ)と人(ひと)』を参照(さんしょう)しました。